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スージー・スナイダーさんの発言

婦人国際平和自由連盟(WILPF)事務局長
新婦人国際シンポジウム
戦争も核兵器もない平和で公正な世界へ‐いま女性たちの連帯と行動のとき


女性と平和、国連

みなさん、このような重要な会議で話す機会をいただき、ありがとうございます。とりわけ新日本婦人の会で懸命に活動している方々と、私の日本への旅を支援してくださった方々一人ひとりに感謝します。このようにそうそうたるパネリストに加わって発言でき、とても光栄です。

今日は私の代表する組織の視点から見た女性の平和運動の歴史について少しお話し、それから国連でのNGOの役割と現在のアメリカの政策についてお話しようと思います。このあとの質疑応答に時間をとりたいので、私の発言はできるだけ短くするつもりです。どうぞ、私への質問があれば、それをメモしながらお聞きください。最後にみなさんからの質問に、できるだけお答えするように努力するつもりです。

まず、婦人国際平和自由連盟―WILPF-について、手短に紹介させてください。WILPFは1915年に発足しました。ある女性の国際会議に22カ国の女性約1300人が集い、すでにヨーロッパで猛威をふるっていた戦争をどうしたら止めることができるかを話し合ったことがきっかけです。この会議はオランダのデン・ハーグで開催され、そこで女性たちは自国の状況を議論し、今起きている紛争の拡大をどうしたらくい止められるのか、そして暴力的な紛争を防止できるのかを話し合いました。

これら女性たちは、会議の終わりに国際的な平和実現の計画を採択しました。そして代表団をだして各国をまわり、各国首脳に会い、この計画を採用してくれるように要請しました。この代表団の構成メンバーはいずれも、女性には選挙権がない国や、女性がいかなる政治プロセスにたいしてもわずかな影響力しかない国の出身者でした。

残念なことに、その当時も、現在のように、権力の座にある男性の多くは、女性が平和構築に大した貢献ができるとは思っていませんでした。ある男性は、戦争をたたかったこともない女性が、どうして戦争を止めさせられるかなど知っているわけがないと言いました。そもそも女性とは、男性よりも平和的な性格だという先入観があったため、これら女性の声は聞き届けられず、戦争は猛威をふるい続けました。

この戦争のあとまもなく、諸国が集まって国際連盟を結成しました。この時でもWILPFの会員の多くは、自国では依然として女性には投票権がありませんでしたが、WILPFは国際連盟に関わるようになり、人権や女性の権利、そして全面完全軍縮を要求したのです。世界中にいたWILPF会員は、全面完全軍縮のよびかけを支持する700万筆以上の署名を集め、それを1933年ジュネーブで開催された世界軍縮会議に馬が引く荷車で運び込みました。この軍縮会議は、全面完全軍縮計画に合意することなく終わりましたが、WILPFの女性たちは戦争の根本原因は何かを学び、それを伝え、二度と戦争が繰り返されないように活動を続けました。WILPFが発足してから91年になります。私たちはいまでも毎日、平和で自由な世界、全員が平等な世界、戦争が思いもよらないもになる世界をつくるために懸命に活動を続けています。

第二次世界大戦が勃発する前も、WILPFは20カ国以上で活動し、政府にたいし、互いに敵対している国に武器を売るのを止め、できれば、貴重な資源を武器や軍隊についやすことのないように要求していました。私たちはいまでも世界の軍事費の削減を要求の一つとして掲げています。

第二次世界大戦後、国連が創立されたサンフランシスコ会議の開催中も、WILPFの会員はその場にいて活動し、各国政府高官に、紛争の根本原因に対処できるような、世界大戦のような悲劇が二度と再び繰り返されることを阻止できるような機関をつくるように要請しました。私は、各国に軍事費削減計画をつくることをよびかけた26条が国連憲章に加えられたのは、WILPFの女性たちの影響力があったからだと考えるのが好きです。

国連憲章も世界人権宣言も男女の平等を認めていますが、こんにちの女性は依然として、ちょうど1915年のWILPFの代表団がそうであったように、平和構築の努力に自分たちの意見を反映させるためには大変な苦労をしなければなりません。国連安全保障理事会は不平等があることを認め、2000年10月に1325号決議を採択し、すべての和平プロセスに女性を加えることの重要性を認めました。

この決議が採択された背景には、特別協議資格をもつNGOのたいへんな活動がありました。ここでNGOに認められている2つのタイプの協議資格について説明させてください。

ひとつは国連広報局をつうじて認定されるNGOです。これらのNGOはオブザーバーとして会議に出席し政府代表と話すこともできますが、会議参加の主要な目的は国連についての情報収集と、収集した情報を会員をつうじて普及することです。これらのNGOは国連と専門機関についての認識を高めることを誓約しています。毎年9月、国連総会が開催される直前には、これら国連情報局NGOの世界会議があり、世界中から数百人の代表が集まり、交流し、情報を交換し、どうしたら世界中で協力して活動できるかを話し合っています。

もうひとつの国連NGOは、国連の経済社会理事会にたいして特別な協議資格をもったNGOです。このタイプのNGOは国連でおきていることにたいし、前者よりもはるかに強い影響力をもっています。WILPFや新婦人はこの特別協議資格をもったNGOです。つまり、私たちは経済社会理事会のもとにある委員会、たとえば女性の地位委員会、持続可能な開発委員会、社会開発委員会などの会議の議題にも影響力を行使できるのです。私たちは国連やその専門機関に積極的にかかわるとともに、各国および国際レベルで各国政府にも働きかけ、国連憲章にうたわれている目的の達成のために活動していることを証明してきました。私たちのようなNGOは4年毎に報告書を提出し、国連を支援するためにどのような活動をしたか、国連の活動にどのようにかかわったかを示すことが義務づけられています。

国連安全保障理事会にたいして影響力を行使し、第1325号決議を採択させたことは、NGO、特に女性のNGOがもつ力を示すすばらしい事例です。この決議の採択にこぎつけるには1年以上もかかりましたが、それにはいくつかの特定の段階がありました。国連でNGOがどのような活動ができるかを説明するための具体例として、それをご紹介します。

第一に国連機関での情報収集によって、どうしたら紛争後のプロセスに女性を参加させることができるか、その方法を明らかにします。NGOは、国連女性開発基金(UNIFEM)、平和維持活動(PKO)局、政治局などとの会談をおこない、基礎的な情報を集めました。この情報を活用して、紛争後のプロセスにどのように女性を参画させることができるかを示す提言書(ポジション・ペーパー)を作成しました。提言書のひとつは、平和構築プロセスの当初から女性が参画していた場合、排除された場合よりも、平和が長く続くことを証明した報告書でした。提言書を作成すると、それを各国政府に回覧させ、それについて協議する会談を設定しました。

NGOができる最も効果的な行動のひとつは、国連で各国の政府代表と会談することです。このような会談は国の政策を変えることはできませんが、各国の首都(中央政府)でおこなわれる議論に影響をおよぼすことができます。NGOの最も効果的な活動方法は、私が好んで「インサイド・アウトサイド戦略」(内と外からの戦略)とよんでいるやり方です。安保理決議の準備の際には、政府代表との会談はニューヨークの国連本部と、政策の策定や決定がおこなわれる各国の首都の療法で行われました。

会談にはさまざまなやりかたがありますが、(安保理決議をめざした)女性団体の連合体はそのうちのいくつかを用いました。ひとつは一部の政府とおこなった個別会談ですが、このような会談は政府の支持が得られると分かっているか、あるいはすでにその国の首都で決定したことを知っていて、それを強化したい場合におこないます。

もうひとつは、円卓会議です。この場合、NGOとしてはひとつの国の政府と協力して、複数の政府の非公式会談をセットし、特定の問題にしぼって話し合います。このような会談は、通常はオフレコで、事前に具体的な提言書が作成され、話し合いのたたき台として回覧されていると、とてもうまくいきます。第1325号決議の準備過程でも、このような円卓会議が何回かおこなわれました。

最後のタイプの会談は、第1325号決議の採択を確実にするために使った形式で、アリア式会議と呼ばれています。これは正式記録には残らない安保理メンバーとNGOの非公式会議で、ひとつないし複数のNGOが安保理の作業に関係のある情報を提供することができます。このタイプの会談は、特定の決議の採択を確実にする、あるいは決議をめぐる議論に情報を提供する、あるいは安保理が取り上げるべき平和や安全保障にたいする脅威を指摘するためには非常に効果的です。アリア形式の会談は、必ず安保理の理事国のひとつの政府が設定し、多くの場合、非常任理事国の政府が主催します。2000年10月23日にも、国連安保理はこの形式の会議を開きました。発言者したのはイシー・ダイファン(WILPF)、ルス・メンデス(グアテマラ全国女性連合)、ファイザ・ジャマ・モハメッド(イクォリティ・ナウ)およびイノンゲ・ムビクシタ・レワンキア(ザンビア国会議員)でした。この会談は、安保理メンバーに和平プロセスに女性を参加させる必要性についての特定の情報を提供しました。発言者のひとり、ルス・メンデスは当初グアテマラでの和平プロセスから排除されましたが、数年間たたかって、ついに参加を勝ち取った女性です。ルスはじめ女性たちの話は、安保理メンバーを強く感動させ、彼らは公開討論会をおこなうことに合意したのです。

この安保理の公開討論会というのも重要な手段のひとつで、NGOがその有効性をあますことなく発揮できる場所でもあります。公開討論会では、安保理メンバー15カ国だけでなく、どの政府も発言することができます。NGOは、事前に手紙を回したり、個別会談をもったり、政府代表のスピーチに加えてもらう文を提案したりして、各国政府のスピーチに効果的に影響力をおよぼすことができます。WILPFでは、小国の政府ほどスピーチの内容への提案を待っていることが多く、本国の首都への問い合わせができるように、こちらが余裕を持って情報を提供しておけば、喜んで公開討論会で発言してくれることがわかりました。2000年10月24日におこなわれた女性、平和、安全保障についての公開討論会では、41カ国の政府が発言しました。その1週間後、安保理は満場一致で最初の個別テーマ決議である「女性、平和、安全保障決議」を採択しました。

安保理決議はすべての国連加盟国に拘束力をもつため、国際法をつくる1番の近道です。しかし、決してこれが唯一の方法というわけではありません。国連には他の機会もあります。国連総会、6つの特別委員会、経済社会理事会のもとにある委員会、それに新しく設置されたばかりの平和構築委員会や新しく選出された人権理事会などがそうです。

悲しいことに、現在国連は、多くの方向から攻撃を受けています。それは特にアメリカによる攻撃です。国連は各国政府が国の大小や貧富に関係なく、平等に発言でき、国際法の支配を尊重している世界で唯一の場所です。しかし、この数年間、アメリカは国連の過半数の決定を遵守することを拒否し、自らが世界に広めていると誇らしげに宣言している民主主義を受入れることをこばんでいます。その最も顕著な例が、あの違法なイラク戦争です。

アメリカは国連で改革の先導役をはたしていますが、これはそれほど新しいことではありません。国連憲章が採択されたとほぼ同時くらいから、国連改革については議論がありました。しかし、現在、アメリカが進めようとしている改革は、もしそれが実現すれば、過去60年間にわたって国連がおこなってきた良い仕事を大きく損なうことになるかもしれないのです。

国連は「戦争の惨禍をなくす」ための機関であると同時に、国連開発計画によって貧しい国の開発を促進し、ユニセフ(国連児童基金)によって児童を保護し、ユニフェムによって女性の権利を促進し、国連軍縮研究所によって軍縮を研究し、国連環境計画によって環境保護に深く関わっています。また、国連人権委員会は過去60年間、人権の促進と擁護の国際基準を設定する機関として機能してきました。それを今、アメリカは設立から5年以上経過したすべての国連機関について、そのすべての権限を合理化するという観点から見直すことを提唱し、すでにその合意をとりつけているのです。残念ながら「合理化」とは、多くの場合、これら国連の専門機関や計画で、アメリカの政治家が気に入らない可能性のあるものを廃止するという外交上の暗号なのです。

国連を変質させるためにアメリカが使う戦術は、道義にかなっているとはとても言えません。アメリカは、自分の意見がとおらなければ、国連への分担金の支払いを停止すると脅しています。これはまったくまちがっています。国連は多くの良い活動をしています。それはどれもお金がかかります。アメリカやアメリカの影響下にある国が分担金を支払わなくなれば、国連の計画は続行できなくなり、多くが「南」側に住んでいる数百万の人々が、その被害を受けることになります。

その良い例が、国連人権委員会の廃止です。アメリカはこの委員会を廃止し、かわりに人権理事会を設置するという合意がない限り、分担金を払わないと脅しました。人権委員会は非の打ち所のない機関ではありませんでしたが、人権について基準や規範を設定する場でした。また、NGOが人権侵害について各国政府の注意を喚起できる場であり、国連のなかでもNGOの影響力の最も強い機関でした。これがいまやかわってしまい、私たちもまだこの新しい理事会がどのように運営されるのか、あるいはNGOがどのように理事会の作業に関わることができるのかさえ分からないのです。アメリカは理事選挙に立候補することをこばみ、舞台裏で他国の政府をつうじて影響力を行使することを選びました。

アメリカはいくつかの方法で他国政府に影響力を行使しています。それは、ニューヨークあるいはワシントンで各国政府と会談するという通常の外交ルートによることもあります。また、他国の首都に代表団を派遣し、そこで会談するということもあります。あるいは、財政援助をストップすると脅すやり方もあります。たとえば北朝鮮に約束した重油のようなエネルギー援助から、占領下のパレスチナで選挙で選ばれた政府にたいする人道援助など多岐にわたるものです。さらに、通商関係をちらつかせたり、アメリカの市場の一部開放を約束したりして、アメリカの計画に同調するよう説得するという方法もあります。また、米軍を利用することもあります。これは必ずしも戦争をするためではなく、脅しをかけるためです。

外交を裏で支える、あるいは何らかの外交提案を押しつけるために軍隊を用いるやり方は、国連の精神に真っ向から反するものです。強い軍隊をもつことは国連の活動に関与する必要条件ではありません。というわけで、ここで日本国憲法第9条の問題についてお話することにします。

日本が常任理事国として安保理入りを求めていること、またそれが9条を撤廃する理由であると主張していることは誰でも知っています。しかし、日本が国際平和・安全保障の大義に貢献するためには、なにも攻撃用の軍事力をもつ必要はないのです。実際には、攻撃用の軍事力をもたないで日本が常任理事国になることができれば、その方が地球全体の将来にとっては、ずっと良いことなのです。

日本は世界経済で大きな飛躍を成し遂げました。そして多くの人が、日本がこれほどの経済発展をしたのは、国の資源を大量に軍備に振り向けることを禁止している憲法をもった世界で最初の国だからだと考えています。日本が憲法9条を撤廃し、攻撃用の軍事力を増強することになれば、それは国際平和安全保障の維持をうたっている国連憲章の掲げた目的に逆行することになります。日本が世界の安全保障に貢献できることを証明したいと真剣に望むのであれば、憲法9条を維持し、それによって、単にことばで平和を語るのではなく、自らの行動で平和への道を示すべきではないでしょうか。

私は日本の多くのNGOが9条を守るために懸命に活動しているのを知っています。私はそのことをみなさんに感謝します。世界には、私の国を含めて、みなさんの9条をまもる努力を国外から支援しようとがんばっているNGOがたくさんあります。私たちは国連で集まった時には、NGOとして9条を語り、どうしたら9条を守れるかを話し合っています。

NGOが共同して活動すれば、変革をおこすことができます。国際法をつくることだってできます。安保理の1325号決議で私たちがやったことを見てください。NGOが力をあわせれば、9条を守ることができるし、すべての人に正義を実現することで平和を築くこともできるのです。

ありがとうございました。

鄭鉉栢(チョン・ヒョンベク)さんの発言

成均館大学・歴史学科教授
韓国女性団体連合共同代表
新婦人国際シンポジウム
戦争も核兵器もない平和で公正な世界へ‐いま女性たちの連帯と行動のとき


北東アジアの平和と女性の役割

韓国女性の平和運動について話す機会をくださり、ありがとうございます。今日私は、戦争の危険と北東アジアの連帯の必要性についてお話します。

1. 北東アジアと戦争の危険性

朝鮮半島には戦争の影が忍び寄っています。アメリカのブッシュ大統領はすでに北朝鮮を「悪の枢軸国」と特徴づけていますが、昨年10月16日にアメリカ国務省が、北朝鮮が核兵器開発計画をすすめていることを明らかにして以降、朝鮮半島ではいっそう緊張が高まりつつあります。北朝鮮はアメリカに、北朝鮮にたいする敵対政策を破棄し、北朝鮮を国として認めるように要求しています。この要求の具体的内容は、1)朝鮮半島で戦争が勃発することを防止せよ、2)北朝鮮にたいする経済制裁を止めよ、というもので、生き残りをかけたこの必死のたたかいに私たちは胸を痛めています。1994年の核兵器問題をめぐるたたかいのプロセスのなかで、朝鮮半島は戦争勃発の1歩手前までいきました。当時、在韓米軍司令官のギャリー・ラック将軍は、もし朝鮮半島で全面戦争が起こり、現在ある17基の原子炉のうち1基でも破壊されることになれば、韓国では100万人以上が死に、朝鮮半島全体が放射能に汚染されることになるだろうと警告しています。また2002年10月1日付けの韓国時報は、「USニュース&ワールド・リポート」というアメリカの週刊誌の記事を引用して、アメリカは、2002年9月に作成された「国家安全保障計画」に沿って、大量破壊兵器をなくすために北朝鮮を攻撃する計画をたてていたと報じています。この計画には、アメリカは同盟国である韓国の政府の事前承認がなくても北朝鮮を攻撃するという内容が含まれていました。この計画は草案の段階で破棄されましたが、朝鮮半島の私たちが直面する危険性を改めて裏付けるものです。このように衝撃的な報告があるにもかかわらず、朝鮮人民が平静を保っているのは不思議としか言えません。朝鮮半島での戦争は、たんに朝鮮半島にとどまらず、北東アジア全体の平和と力関係の均衡を破壊することになります。したがって、北東アジアの平和は、この地域の人民が全員で解決しなければならない問題です。朝鮮半島での戦争の危険性が高まってから、韓国人民の緊張と平和への願いはさらに強くなっています。

ポスト冷戦時代の特徴は、グローバル化とよばれる資本市場の国際化とコミュニケーションの機会のグローバル化です。このなかで、グローバル・ピープルやグローバル・カルチャーなど、グローバル化についての良いイメージが広がっています。しかし、このグローバル化の時代においても、ナショナリズムが強調され、民族間の争いがあちこちでおきています。同時に、他方ではEU(欧州連合)、NAFTA(北米自由貿易連合)、APEC(アジア太平洋経済協力)など、地域共通の利益に対応した地域連合体が生まれています。しかし、北東アジアでは国境紛争が増えつつあります。さらに、この地域には他の地域にはみられないほどの大きな文化のちがいがあります。中国と日本や、韓国と日本とのあいだの漁業領域をめぐる争い、竹島をめぐる領土問題、日韓の日本の歴史教科書問題、北朝鮮政府による日本人拉致問題などは、北東アジア地域でいまだに冷戦が続いていることを裏付けています。さらに、世界で広がっている人権問題にたいする関心や、国家安全保障から人間の安全保障へと変化している安全保障の見方は、北東アジアではまだ広がっていません。

ヨーロッパのNGOや市民社会とちがい、アジアの市民社会は軍備や平和維持の問題に積極的に関与することができませんでした。これはアジアでは、国家が軍備や国家安全保障についての決定権を独占しているからです。また、アジアの大国で根強い儒教の伝統や、アメリカによる個別化政策も重要な役割をはたしています。アジア諸国では、世論の監視、管理、操作などによって、軍事や安全保障問題については、市民社会の発言権が著しく弱められてきました。その結果、北東アジアでNGOが国境を越えた国際連帯を実現するのはとても困難になっています。たとえば韓国の有力なNGOである「参与連帯」「経済的正義のための市民連合」、「韓国環境運動連合」および全国に広がるネットワークをもつ「韓国女性団体連合」などは、環境、行政改革、選挙、性差別など国全体にかかわる問題については大きな影響力を行使することができました。しかし、これと比べて軍備や冷戦の回避などの問題についてみると、これらのNGOも積極的にかかわることができていません。同様に、第二次世界大戦以降、武装が禁止されている日本に、北東アジアにおける安全保障と平和維持のためのアメリカのパートナーの地位を与え、新たな軍拡ガイドラインによる条約を結ぶというアメリカの個別化政策は、何にもまして北東アジア諸国の団結を妨げる重大な要因となっています。言い換えれば、台湾と中国、韓国と北朝鮮、およびロシアと中国などのあいだにある二国間の軍事的緊張を制御する任務を日本に与えることで、アメリカは周辺諸国の強い抵抗をよび、これらの国の懸念をかきたてているのです。

特に、ポスト冷戦時代の到来は、それまでは共産主義に対抗するためにアメリカと連帯することを望んでいた北東アジアの国々、すなわち韓国と日本に、アメリカは帝国主義を強要しようとしているのではないかという疑念を抱かせました。特に、韓国のNGOとアメリカとのあいだには、米軍基地、環境汚染、実弾演習場、売春など一連の問題をめぐって争いが続いています。これらの問題を解決する過程でみせたアメリカの傲慢な態度は、アジア各国の人民の神経を逆撫でするものでした。

韓国社会は国内に駐屯する米軍が引き起こすさまざまな問題に、再び直面しています。問題の発端は、2006年1月19日に韓国政府が「拡散に対する安全保障構想(PSI)」でアメリカとの協力を発表したことです。しかし、これ以前に、韓国政府はすでにアメリカとの協力を決めていました。この問題に関連した重大な側面は、それ以前から韓国政府がいわゆる戦略的柔軟性に合意していたことです。これによって韓国に駐留する米軍は、その戦略的目的に必要と判断すればいつでも、どこにでも移動することができるようになったのです。もちろんアメリカは、韓国国民の意思に反してまで、北東アジアで発生する紛争に介入しないことを約束しました。しかし、ひとつ確かなことは、在韓米軍がアジアで軍事介入を開始することになれば、朝鮮半島はその軍事行動の足がかりにされることです。韓国において米軍の戦略的柔軟性を認めたうえPSIに参加するという盧武鉉政権の決定は、アメリカ主導の世界軍事戦略にたいする韓国の従属を加速化するだけにとどまらず、南北朝鮮の関係改善や暗礁に乗り上げている6カ国会談の再開をめざして続けられている努力に、深刻な問題を引き起こす可能性があります。

これらの政策の一環として、韓国、アメリカ両国政府はソウル市龍山(ヨンサン)地区にある第8米軍基地(EUSA)の平澤(ピョンテク)市への移転・拡張をめざしています。この準備期間の2006年5月3日に、韓国政府は15,000人の警官と兵士を動員し、50年以上もこの地区に住んでいた農民や、平和活動家を含む約1000人の移転に抗議する人々を強制的に退去させ、新しい米軍基地施設の建設予定地の回りに鉄条網のフェンスを建てました。このなかで514名が拘留され、そのうち37人が逮捕され、数百名が負傷しました。さらに、翌日の5月4日にこの弾圧に抗議するためにおこなわれたデモでも、数百名の参加者が拘留されました。新基地が以前より拡張されるのは、ソウル市街から南に移転するからというのが唯一の理由です。韓国のNGOは、韓国政府が軍事施設の移転費だけでなく、既存の基地による環境汚染の拡大防止の費用まで負担させられることに抗議しています。現在、韓国社会では怒りが巻き起こっています。

私たちは韓国国民だけでは、アメリカという大国の欲望に抵抗できないことを知っています。北朝鮮だけでなく他の北東アジア諸国にも向けられた「戦略的柔軟性」は、この地域の平和を脅かすものです。私たちは、いま、北東アジアと朝鮮半島の平和、そしてグローバル化のひきおこした諸問題と悪影響の是正のために、この地域の諸国間での国境をこえた連帯の必要性を痛感しています。朝鮮半島における分断と紛争の原因は、韓国と北朝鮮だけにあるのではなく、朝鮮半島を囲む大国のあいだの相互理解と深く結びついていることは疑いもありません。平和構築の努力が、各国の国境内にとどまっていたり、地域主義の枠内を出ることができないのなら、平和は決して実現することができないのは言うまでもありません。したがって、民族や国のちがいを超えた北東アジア諸国のNGOの連帯、ひいては世界の諸国間の連帯は重要な課題です。しかし、最も達成が急がれる課題は、北東アジアの平和を脅かす問題の解決策を見つけることにあります。

2.韓国女性の活動と課題

韓国では、統一運動にたいする強い情熱があります。しかし平和運動は十分に継続的におこなわれませんでした。平和運動を始めたのは女性たちでした。韓国の女性は、被爆者支援活動、軍事費削減運動、軍縮運動、そして1970年代からは催涙弾廃止運動などの運動の先頭に立ってきましたが、これらの運動は国民的には成功しませんでした。また、これらの活動は一時的で、永続的なものになりませんでした。「平和をつくる女性たちの会」が1977年につくられ、本格的な平和運動が始まり、「平和ネットワーク」もできました。しかし、これら組織の活動は活発ではありませんでした。「参与連帯」がつくられ、2002年のジェット戦闘機の購入計画であるFX計画に反対する運動に積極的に参加するようになると、韓国民主労働組合連合会をはじめ様々なNGOが連帯してたたかいました。アフガニスタン戦争、イラク戦争を経て、反戦運動は女性団体や平和ネットワークによって活発にすすめられるようになりました。平和運動はまだその歴史は浅いものの、以下のような活性化の目標を掲げています。

(1) 南北朝鮮間の交流の活性化

私たちは南北朝鮮で、北緯38度線を越えて平和の文化が満ち溢れるようになることを望んでいます。そのためには、南北朝鮮の国民のあいだに平和共存についての確信と信念があることが必要であり、それには南北朝鮮間の頻繁な人的交流が必要です。この交流のなかでは、南北朝鮮間のちがいを受け入れて理解し、その溝を埋める努力を重視する必要があります。しかし、交流においてもっと重要なのは、南北朝鮮に長期的な平和を定着させるために、朝鮮半島での平和定着のための具体的な課題は何かを明らかにすることです。

このような観点から、南北朝鮮の女性代表の会談がおこなわれてきました。南北間に民間レベルでの交流がなかった1991年から1993年にかけては、日本女性の支援を得て、東京、ソウル、ピョンヤンで、アジアの平和における女性の役割をテーマに会談が4回おこなわれました。最初の民間団体として、韓国女性運動の代表者が陸路でピョンヤンを訪問しています。(南北朝鮮首脳会議のあった)2000年6月15日以後、南北朝鮮の女性の交流はより頻繁におこなわれるようになりました。2001年の6月15日と8月15日(民族解放記念日)の記念式典からは、この交流は定期化しました。これらの記念式典をつうじて南北朝鮮の女性たちは会談する機会をもてるようになったのです。2002年10月には、クンガン山で「南北朝鮮統一女性会議」が700名の参加者で開催されました。同様の会議は、2005年9月にピョンヤンでも開催されました。300人の韓国女性が、北朝鮮を訪れ、就学前児童の学校、産科病院、女性の職場など女性関連の施設を見学することができました。これらの交流をつうじて南北朝鮮の女性は、互いのちがいを認識し、和解の段階で起こりえる多くの利害の対立に直面しました。こうして女性たちは思想的、政治的そして文化的なちがいを認め、受け入れることがいかに難しいかに気づいたのです。

これらの交流の他に、韓国女性は北朝鮮女性の援助を始めました。北朝鮮は、相次ぐ洪水(1995-96年)や干ばつ(1997年)による深刻な食料不足、社会資本の劣化、農業技術の遅れなどに苦しんでいます。そのためさまざまな韓国女性組織が、乳児用粉ミルク、医薬品、下着などを北朝鮮の女性や子供に送る運動を始めました。6・15合同委員会の女性本部は、北朝鮮の「民主女性連合」にバス2台と音響設備を送り、北朝鮮の女性団体を直接に支援しています。また韓国女性は北朝鮮に製パン機や原料を送り、ピョンヤンの製パン工場は毎日約1万個のパンを生産し、託児所の子供たちに配給できるようになりました。経済的自立度の低い女性からの募金は困難なため、韓国では女性からの募金は男性の募金額には達しませんでした。

(2) 平和を破壊する超大国とのたたかい

朝鮮半島に平和の機構をつくるプロセスで超大国が和平を妨害した場合、女性はこれらの勢力を打ち負かさなければなりません。東アジアに平和の機構が実現できなければ、朝鮮半島の平和は期待できません。そのためNGOは多国間外交によって北東アジアにバランスのとれた平和機構を実現するめに、圧力をかけなければなりません。言い換えれば、アメリカや日本などだけを対象とした外交で朝鮮半島の平和の実現が困難になった場合、私たちは批判の声をあげる必要があります。特にアメリカあるいは周辺国が南北朝鮮の友好関係に介入した場合、私たちはさまざまな方法で、韓国および海外の世論を動員するための宣伝役をはたさなければなりません。

同様に、私たちは、自分たちの国の土地におかれた大国の軍事基地内でおきている一般人にたいする人権侵害問題にも、積極的に取り組まなければなりません。女性たちは、(米軍実弾射撃演習場近くの)梅香里(メヒャンニ)の住民の苦しみや、米軍のタンクにひき殺された中学生少女たちの死をつうじて表面化した、韓国国民の生活権の制限や米軍基地周辺で売春する韓国女性が受けた暴力などの問題でたたかってきました。これら過去数年間の女性たちのたたかいは、平和が与えられるものではなく、自分たちで守らなければならないものであることを示しています。女性は戦争の最大の被害者であり、女性による社会のさまざまなレベルでの活動は、人の心により強く訴える力をもつことができます。なぜなら女性たちは、平和を愛するからこそ、人を思いやり大切にする役割をはたしているからです。

(3) 平和にたいする感受性を高め、平和教育を実現する

平和にたいする感受性を高め、様々なちがいを受入れる寛容な態度を育てるためには、平和教育が大切です。韓国で平和運動の先頭にたってきた女性は、平和教育でもまた先頭に立っています。「平和をつくる女性の会」は、各種の平和教育プログラムを開発しました。1999年からは「女性と平和アカデミー」という平和学校を定期的に開催するとともに、サイバー平和教育や再統一をテーマにした子ども向けの巡回人形劇、ティーンエージャー向けのピース・キャンプなどをおこなって、平和能力を向上させる技術を身につけ、国際的な平和問題を理解することを促進しています。さらに、個人の心に宿る非平和的な傾向を、平和を追求する傾向へと転換させることによって個人の平和を大切にする心を育てるために「ピース・マインド・トレーニング」を主催しました。しかし、最も重要なのは「アメリカフレンズ奉仕委員会」の支援で、「平和をつくる女性の会」「韓国女性団体連合」および「統一平和全国会議」が、「紛争解決と寛容プログラム」において人々に会談や交渉や仲裁を体験させ、互いのちがいを理解させ、平和教育の専門家を育成していることです。これらの専門家はソウル市内にある学校の教頭のトレーニングにも起用され、学校に平和教育を普及するうえで重要な役割をはたしました。「平和をつくる女性の会」は現在、公教育に平和教育を普及する方法を見つけようと、統一された平和教育の方法を開発する研究プロジェクトをすすめています。この平和教育の試みは、韓国社会の一部でしかおこなわれていませんが、将来的にはもっと多くの女性のあいだに広がらなければなりません。

(4) 平和教育を日常生活の一部に

韓国社会における平和文化の形成においても、私たち女性は先頭に立たなければなりません。半世紀におよぶ分断のあいだ、南北朝鮮のあいだの敵意は強まり、また急速な経済発展は社会的な緊張を高めました。分断された国内ではどこでも軍国主義がはばをきかせ、私たちの生活、意識、生活スタイルは、意識的にも無意識的にも、軍事色が濃くなっていました。この軍国主義は女性の生活にも大きな傷跡を残し、売春、レイプ、家庭内暴力などが社会に横行するようになりました。したがって朝鮮半島の平和は、政策や大国だけを相手にした外交では実現できず、私たちが平和な心をもち、平和に暮らすことを選択してはじめて実現できるものです。そのため日常生活における平和は、平和と共存の出発点であり、NGOは平和文化の普及の先頭に立たなければなりません。特に、私たちは反軍国主義的な文化運動をすすめ、分断の考えを克服し、敵対する相手とも意思疎通をはかる態度を学び、相互理解の文化をつくりださなければなりません。

すでにユネスコは2000年を「世界平和・文化年」と宣言して、様々な平和と文化のキャンペーンをおこないました。この一環として「平和をつくる女性の会」はおもちゃの武器を平和を象徴するおもちゃと交換するイベントを開催し、平和をつくる女性の会の「生活ガイドライン」を発表して、さまざまなキャンペーンをおこないました。また、ベクルン島、チュルウォン地域、ガングア島、パンムンジュン、メハンリなど戦争のあった地域や軍国主義の被害を受けた地域を支援するピース・ツアーを実施して、戦争や暴力についての実践訓練をおこない、同時に「これまでとはちがうレジャー文化」をつくる試みをおこないました。このピース・ツアーは大衆に平和文化を広めることに重要な貢献をしました。「ピース・フェスティバル」や様々な平和や文化のイベント、校内暴力をなくすための父母を対象としたキャンペーンなどをつうじて、NGOは日常生活に平和を実現する必要があります。

(5) 韓国の国内での対話の促進

私たちは話し合いによって韓国国内での意見のちがいを少なくしなければなりません。朝鮮半島の平和のためにも、韓国のなかでの話し合いは、南北朝鮮間の友好関係や国際協調に勝るとも劣らないくらい重要です。私たちは、南北朝鮮問題の解決が、北朝鮮との紛争を解決するどころか、国内の党派的な政治家や自分の有利な立場を守ろうとする一部の特権的な勢力のあいだの紛争になってしまうことに、あまりにも多く失望させられてきました。また、朝鮮半島の平和の定着や北朝鮮との統一問題に関しての韓国国民の意見も分かれています。さらに、朝鮮戦争で朝鮮民族同士の殺し合いがあった影響で、怒りや感情の爆発などの反応がおこることもしばしばです。したがって道理をわきまえた意見を取り入れたり、他人のことなる意見を受入れたりして、さまざまな意見について話し合い、結論に到達するという実践をすることこそが民主主義実現への近道です。しかし、南北朝鮮の問題にかんする話し合いにたいしては分別ある態度をとるようにもっと努力する必要があります。ちがいを理解してこそ、合意にこぎつけることができ、そうすれば、まず韓国内での平和が実現できるでしょう。韓国から意見の分裂や感情的な対立がなくなったときに、はじめて私たちは南北朝鮮の平和的な関係を確立することができるでしょう。

また、女性たちは韓国社会での分裂や紛争を解決することに努力を傾けています。これは一つひとつの組織と直接連絡を取り話し合いをもったり、共同プロジェクトをするというやり方ではなく、いくつかの組織を集めて連帯組織をつくることによってすすめられています。「韓国和解協力協議会」の女性委員会と「6・15朝鮮人民合同委員会」の女性本部は、保守、リベラル、宗教団体とともに話し合い、ピース・ツアー、再統一教育などに参加しています。これらの交流は、女性に、互いのちがいを認めながら、コミュニケーション、仲裁、合意の道を探る機会を提供するものです。

3. 日韓連帯の重要性

それでは北東アジアにおける平和をめざす国際連帯について、NGOの運動の現状はどうなっているでしょうか。この運動を活性化し平和に貢献する方法にはどんなものがあるでしょうか。先に述べたように、北東アジアの様々な国のあいだの交流、会議、話し合いは、冷戦の遺産によって長期間、中断されていました。中国、ソ連、北朝鮮との純粋に民間レベルでの交流は、いくつかの全国組織や諜報機関をつうじたもの以外には、不可能でした。さらに、これらの国には本格的なNGOが存在していません。そのため、韓国と日本、日本とアメリカ、そして最近ではロシアと韓国、ロシアと日本などのあいだでは北東アジアの平和のための国際連帯に関して活発な交流が可能ですが、そのような交流は実現できていません。ヨーロッパは2つの世界大戦を経験した後、21世紀に入ってから欧州連合と通貨の統一を選択し、諸国間を隔てる壁を低くしていますが、アジア諸国については国家間の競争はむしろ激しくなっています。

韓国と日本との連帯活動は北東アジアの平和実現のために非常に重要です。特に日本はアメリカと共同してアジアの防衛を担当する国として台頭し、武装を始めてからは日本の役割はさらに重要になりました。アメリカと日本が21世紀になっても覇権戦略を重視すれば、日本と中国との対立は激化するでしょうし、中国とロシアが手を結べば北東アジア諸国間の対立も激化するでしょう。したがて、日本の市民社会は、日本政府にたいし東アジアでの平和実現のために正しい役割を果たすよう要求し、影響力を行使する必要があります。

しかし日本は、第2次世界大戦中の植民地化と戦争への自らの責任について、アジアの国々にたいし謝罪も補償も行なっていません。ヨーロッパの場合は、法的レベルで戦後責任が果たされただけでなく、平和の文化の実現というレベルで過去の問題が積極的に解決されました。そして歴史家の間で歴史教科書について活発な議論が行われています。戦勝国が第二次世界大戦中被害を受けた国々だったからです。しかし戦後、占領者であるアメリカとの協力体制を確立する一方、アジアでいちはやく経済発展をとげた日本は、むしろ戦勝国に近い立場をとりました。さらに、戦争中被害を受けた国々は輸出中心の工業化プロセスのなかで、日本に経済的に依存しました。韓国の場合は、なんら国民を代表する権限をもたない軍事独裁政権が、戦争犯罪にたいする日本の賠償の問題について、密室での交渉を行いました。

さらに日本国民が広島・長崎への原爆投下により、加害者としてよりむしろ被害者としての意識を強くもつようになったことも、日本が過去の問題を解決し、北東アジアに平和を実現する上で積極的な役割を果たすことができないことの原因になりました。アジアでの平和運動は、被爆者とつながった日本での核兵器反対の行動から始まりました。しかし、日本の反核運動は、戦争の賠償問題にとりくむアジアのNGOにたいし冷ややかで、このことは、日本の市民セクターが加害者としての日本の責任について、確固とした立場を築けていないことを示しています。結果として、日本の反核平和運動はおもにヨーロッパの国々との連帯し、アジア諸国との連帯は限られています。日本の女性や平和運動は韓国のNGOとの連帯を積極的にすすめているとはいえ、北東アジアの平和をめざす韓国と日本の連帯という点では、全体として一部の学者や宗教組織にとどまっています。

加害国によるこうした被害国への賠償と謝罪をもとめる活動は、慰安婦にされた女性被害者のための女性たちの運動をつうじてアジアレベルで連帯ができていくことにより、国際的に注目されるようになりました。ボスニアでの戦争中に起こった残虐な集団レイプともかかわって、慰安婦の問題は国際的な注目を集めたのですが、それはちょうど性暴力をめぐり国際的にフェミニズムの関心が高まっていた時期でした。この問題は性暴力に対しもっと積極的な措置をとる必要性を人々に自覚させただけでなく、女性の戦争に反対する平和運動につながりました。特に、慰安婦の運動はこの問題を当時国際的に議論されていた性暴力の問題と結びつけたことで、成功をおさめました。国内で慰安婦にされた女性たちへの謝罪と補償を要求する運動として始まったこの運動は、アジアにおける第二次世界大戦中の女性被害者の連帯を発展させ、1995年の北京世界女性会議と2000年の北京+5でも重要な論点としてとりあげられ、2000年12月の国際女性戦犯法廷につながっていきました。この国際法廷で、日本の裕仁天皇の戦争犯罪が確認されたのです。さらにこの運動は、日本政府が戦争責任を認め補償することをもとめて、国際司法裁判所と国連人権委員会に日本政府を提訴しています。こうして、慰安婦問題での女性の活動は、アジア諸国の連帯をつくっていくうえでよい見本になりました。ですから、訴訟に続いて北東アジアに平和を実現するためにいっそう積極的な連帯の努力が期待されています。慰安婦にされた被害者への補償問題でのアジアの連帯は、アジアにおける平和運動の足がかりをつくり、補償という単一の問題を超えて、戦争に反対する平和運動へと広がっています。

韓国とアメリカ、韓国と日本の間の交流はこれまで、学生、学者、宗教者、政治家や芸術家が中心でした。市民運動を中心にNGOの間に宗教者への連帯は存在していましたが、彼らの活動は活発ではありませんでした。特に共同のとりくみは何か火急の問題が起こったときしか、発展しませんでした。来ては去り、ということが続きました。朝鮮半島と北東アジアに平和を実現する活動は、いつくもの問題を中心において段階的に進めるというよりも、一つの大きな目標をもって系統的に行なわれるべきです。しかし、この目標を追求する恒常的な組織と機構がありません。日本、アメリカ、あるいは北朝鮮や中国など他の東アジアの国のような国の仲介を通じて、戦略を確立する必要があります。韓国、アメリカ、日本、台湾の交流と連帯を続けることがもとめられています。特に、朝鮮半島の平和のために、アメリカのNGOの支援は、緊急に必要なものです。

しかし、ひとつには反日的な態度や反米主義、もうひとつには言語の問題や文化的孤立により、国際的な連帯をつくっていくには大きな障害や困難があります。韓国のNGOは専門家、予算、外国語に熟達している活動家の不足により、国際化の流れに遅れをとっています。韓国のNGOは莫大な予算を投入してさまざまな国際会議を招致していますが、会議の形式や開催にのみ注目が集まり、ほとんどの場合議論や核となる合意事項につながりません。加えてこうしたNGOはコストを抑えるために最小限の専従しかおいてないために、専従者はオーバーワーク状態で、国際連帯のための会議に派遣することも困難です。こうした問題を考慮し、参与連帯や韓国女性団体連合などいくつかのNGOは最近、国際連帯についての専門家を養成するために活動家をフィリピンでの外国語研修に派遣しました。

地域の連帯をすすめるためには、北東アジアで戦争を防止し平和を実現することが必要不可欠です。そのために、私たちは日本と韓国で積極的に平和運動をになう主要な組織や人を見定め、必要に応じて共同のキャンペーンをおこなうことがもとめられています。

4. 結び

この報告の中で、ひとつの国の中での女性運動の課題について、さまざまな活動を提案しました。韓国では女性の平和運動と人々の日常生活の問題を結びつけ、この運動を大衆的な運動に転換する方法を見つけることが、緊急の課題です。ヨーロッパ諸国にくらべて、韓国の女性の間にはまだ韓国の平和への敏感性が不足しています。私たちは平和を実現し軍国主義とたたかう方法を見つける必要があります。

韓国のNGOに関して言えば、私たちは平和運動にくらべて統一運動がはるかに大きな問題であり、国粋主義的な情熱と結びついていることを自覚する必要があります。私たち女性運動は、平和運動でもっと多くの活動が行なわれるべきだと考えています。そして韓国女性は統一運動におけるナショナリズムへの情熱にたいし、批判を始めています。最後に、女性の視点から、私たちは「統一による平和」というよりむしろ「平和による統一への道」に進むべきだといいたいと思います。

すでに述べたように、北東アジアに平和を実現するうえで女性運動のもっとも緊急の課題は、日本、韓国、台湾、中国の女性のなかに連帯と強力をすすめることです。これに関して、この報告は予算の確保、関連する労働者の訓練、インターネットの普及をするための具体的な手立てについて考えようと提起しています。まず日本と韓国の女性運動が力をあわせこれらの提起を実現しましょう。

タラト・ハムダニさんの発言

平和な明日をめざす9月11日家族の会
新婦人国際シンポジウム
戦争も核兵器もない平和で公正な世界へ‐いま女性たちの連帯と行動のとき


9・11後の時代の世界平和

アッサラーム・オ・アライクム。あなたに平安がありますように。

私はこの場にいることを、大変光栄に思っています。私は女性としてだけでなく、モハマド・サルマン・ハムダニの母親として、みなさんの前にいます。サルマンは2001年9月11日、あの運命の火曜日に、世界貿易センターに向かいました。人種、民族、信仰や肌の色の違いを超えて同胞であるアメリカ人を救うために。彼はそこへ行く必要はありませんでした。しかし、私の息子サルマンは、そういう人でした。彼は誰であれ、苦しんでいるのを見ていることができませんでした。私たちには他の人が苦しんでいるのを見ていることができても、彼は自分の痛みとして感じました。ですから、子どもの頃、彼はしょっちゅう病気の動物や鳥を連れて帰ったものでした。そうした動物や鳥たちの世話をして、元気になると放してやりました。サルマンは、ニューヨーク市警察の実習生であり、救急救命士の資格をもっていました。そして彼はアメリカ人でした。帰化したアメリカ人、イスラム教徒のアメリカ人でした。そして彼の信仰が彼の運命を変え、私の運命を変えたのです。

サルマンは、同胞のアメリカ人を救うために尊い犠牲を払ったのですが、皮肉なことに、テロリストとして捜査の対象になりました。メディアがさまざまな憶測を流し、特にフォックス5とニューヨーク・ポストを経営するその関連会社はひどいものでした。彼に対する捜査の理由はただひとつ、信仰でした。6ヵ月後の2002年3月20日、私たちは彼の遺体が北側のビルで見つかったという公式の通知を受け取りました。私の人生が劇的に転換した瞬間でした。私は、自分がとても複雑な状況にあることに気づきました。私はイスラム教徒として自分の信仰を守ると同時に、私の国、アメリカを守ろうとしていたのです。

最終的にアメリカは、愛国者法の中で彼の勇気と犠牲を認めることによって、市民であるモハマド・サルマン・ハムダニに敬意を表しました。しかし、愛国者法は市民的自由を制限し、正当な法の手続きを停止し、国連の人権に関する条約とアメリカ憲法に違反する、とんでもない法律です。最初の子どもを失ったことと、その子がテロリストとして捜査されるという苦しみが、やがて大きな怒りにかわりました。そして夫と私は2002年の夏、「平和な明日をめざす9月11日家族の会」(ピースフル・トゥモローズ)と出会ったのです。そのときから、活動家として、9月11日以前には決して異議を唱えられることなどありえなかった自分自身の権利のためにたたかうイスラム教徒のアメリカ人としての、私の旅が始まったのです。

ピースフル・トゥモローズは、悲しみを平和のための行動にかえようと集まった9・11の犠牲者の遺族たちがつくった組織です。正義をもとめて非暴力の選択肢と行動を発展させ提唱することによって、私たちは戦争とテロが引き起こす暴力の連鎖を断ち切りたいと願っています。私たちの経験は、世界のいたるところで暴力の被害を受けているすべての人々に共通のものであるという認識にたち、私たちはすべての人にとってより安全でより平和な世界をつくるために活動しています。

ピースフル・トゥモローズは、以下のことをめざしています。

  • 戦争、平和、テロの根本原因について一般の人々を教育し意識を高めながら、戦争にかわる選択肢に関する対話をすすめる。
  • 個人によるものであれ組織的なものであれ、あらゆる形態のテロにたいし非暴力の対応をもとめる人々を支援し、ともに活動する。
  • 戦争の結果として、アメリカ国内で公民権や人権その他の自由が脅かされていることへの注意を喚起する。
  • 暴力や戦争の犠牲になるのは大多数が民間人であることを認識し、暴力と戦争の被害を受けているすべての人々と連帯する。
  • 2001年9月11日の攻撃に関与した人々を、国際法の原則にしたがい法によって裁くために、多国間による共同の努力を促進する。
  • アメリカが国際的に認知されている人権、民主主義、自治の原則を重視する外交政策をとるようはたらきかける。
  • アメリカの外交および国家安全保障政策の失敗にたいする徹底した検討をふくめ、私たちの愛するものたちの命を奪った2001年9月11日の攻撃にいたる過程に関する調査を続けることを要求する。

これらの目標を達成するために、ピースフル・トゥモローズはさまざまな活動をしています。私たちのメンバーはアフガニスタンやイラクを訪れ、戦争による人間性の破壊を見てきました。彼らは帰国後、イラク戦争に反対し議会への要請を行ないました。“アイズ・ワイド・オープン”(目を大きく開いて)という各地を回るプロジェクトでは、イラク戦争で殺された無実の民間人を象徴する1万を超える数の靴を展示します。許しについての意識を形成するために、許し”プロジェクトに協力しています。これは、加害者を許したラプスリー神父などの被害者に関する展示です。ピースフル・トゥモローズのメンバーは議会に行き、戦争に反対し、平和省の創設をもとめ、アメリカの外交および国内政策を平和と寛容をめざすものに転換するようもとめ、あるいは市民の自由や人権をもとめて、精力的に要請を行ないました。そして私たちは成果も得ています。昨年愛国者法の見直しが行なわれたとき、私たちは大変にまちがっているいくつかの条項について、議員に強力な働きかけをしました。愛国者法の残りの部分は4年間行進されることになりましたが、これらの条項について修正をかちとったのです。

9・11の5周年に、ピースフル・トゥモローズは国際平和会議を計画しています。目的は、暴力の連鎖を断ち切ることを選択した組織のネットワークを発展させ、会議から生まれるアイディアを普及する助けとなるような行動計画をつくることです。

9・11のテロ攻撃は、疑惑、不安、暴力と復讐の時代の到来を告げることになりました。アメリカは偉大な国です。正しく言いましょう。アメリカは地球上で最も偉大な国です。この国ほど、世界に向かって大きく手を広げている国はありません。それはトマス・ジェファーソンの国であり、ジョージ・ワシントン、アブラハム・リンカーン、ジョン・F・ケネディ、そしてマーティン・ルサー・キングの国です。ニューヨーク湾で、自由のたいまつとこの国にたどり着いた“貧しく、疲れ、体を寄せあう大衆”を守る憲法をもつ女神に迎えられた移民の国です。すべての硬貨と紙幣に「自由」と「私たちは神を信じる」と書かれている国です。ですから私は、アメリカがどこでどうまちがって、世界ののけものになってしまったのだろうと考えてしまうのです。「正義」と「自由」の国が、なぜいま混乱状態にあるのでしょうか?アメリカ人にとって最も安全な場所は、アメリカの国土にあります。イラクへ同盟者として行った私たちは、いまや現地の人々の標的になっています。土地も、そこに住む人々も、悪くありません。国の政策によって、敵意か友情のどちらが生まれるかが決まるのです。そしてそこで、まちがいが起こるのです。アメリカの政策、特に外交政策は、他の国々に対しもっと寛容であらねばなりません。また、民主主義や自由の名で無実の市民を憎んだり殺したりせよと教える宗教はありません。私は、現在の政権が戦争を始めた理由に同意しません。なぜなら、戦争を始める正当な理由などないからです。文明化された世界には、戦争はありえないのです。私たちは、野蛮な状態に逆戻りしているのでしょうか?あなたは、数十万の無実の市民を殺害することを正当化できますか?

あなたは、ファルージャやアル・グレイブで起こったことを許すことができるでしょうか?拷問は、残忍な人種の道具であり、絶対に認められないものです。悲しいことに、殺害、レイプ、拷問は戦争ではあたりまえのこととして行われます。戦争の痛みを受けるのは女性です。

私は息子ひとりを失った痛みに、いまなお苦しんでいます。消し去られた家族がいます。生き残った人々に何を言えるでしょうか?アメリカは、あなたの愛するものたちを殺すことであなたを助けているとでも?私は慈悲深き主であり、保護者であり、救助者である私の神に尋ねました。なぜあなたは私の息子と9・11の犠牲者3000人を守ってくださらなかったのですか、と。神はまた防止者でもあるので、なぜ9・11が起こるのを防いでくださらなかったのですか、とも尋ねました。打ちひしがれた夫は息子との別れに耐え切れず、2004年7月21日に亡くなりました。私の神は、正義の主であり、許しの主であり、平和をもたらす主でもあります。神は決して私に不正義を行うことはありません。神は報復と恨みではなく許しによって私に平和を与えてくださいました。人生は鏡です。あなたはあなた自身の姿を見、あなたが与えるものを受け取るのです。憎しみは憎しみを生み、愛は愛を生み出すのです。

信仰が私に耐える力を与えてくれました。イスラムは平和という意味です。聖なるコーランの第2章第62節に、神を信じるものはすべて、ユダヤ教徒もキリスト教徒もサビア教徒も、正しく、来世を信じるものはすべて、天国に行くと書かれています。国の力はそこに住む大衆の中にこそあるのです。アメリカ人はいま、目覚めつつあります。そして戦争や搾取、腐敗ではなく平和と正義を強く願っています。ザカリアス・ムサウイに対する判決は、アメリカのなんたるかを示しています。やはり9・11の世界貿易センタービル崩壊で息子を失ったアデル・ウェルティが、次のように言っています。

「今日アメリカは、自由と私たちが私たちのやり方とよぶものの勝利をかちとった。ザカリアス・ムサウイは、真に公平な判事と陪審員を前に公正な裁判を受けたあとで、執行猶予なしの終身刑の判決を言い渡された…。私たちすべてにとって、誇るべき日になった。正義がなされたのだ。」

自由の地であり勇敢さの本家であるこの国は、その本性を現すでしょう。その本性は色あせることはありません。移民の国は信頼と調和によって、再び平和になるでしょう。しかしこの調和を実現するために、私たちは意識的な努力をしなければなりません。9・11のテロ攻撃の後行われたことは、恐怖と無知によるものでした。イスラムはイスラムであるがゆえに非難され、世界中のイスラム教徒は十字架を背負っています。ヒットラーは信仰を持っていたはずですし、イエス・キリストは自分の弟子によって十字架にかけられました。それは彼らの属する人種全体にたいする差別を正当化するものにはなりません。サルマンが9・11の犠牲になったのは、彼がニューヨーク市警の実習生だったからでも、イスラム教徒であったからでもありません。サルマンはアメリカ人だったから、9・11の犠牲になったのです。ある人の信仰や人種や民族によって差別することは、道義にも人としての良心にも反することです。差別と固定観念による区別は、傲慢さと無知に原因があります。

現代文明は綱渡り状態です。信仰と文化の断層に沿って、歴史上再び文明の衝突が起こっています。歴史の流れを変えるために、私たちが今すぐ抜本的で本格的な手立てをとらなければ、滅びてしまうかもしれません。核兵器が私たちを絶滅する前に、廃絶しなければなりません。私たちはお互いを信頼し、互いの文化と信条を尊重しなければなりません。聖なるコーランには、あなたが不正義が行なわれるのを目にし、それを自覚しているならば、正す責任があると書かれています。コーランにはまた、他の人を抑圧したり、抑圧をよしとしてはならないとも書かれています。これは、息子サルマンが残したものでもあります。これは私の使命であり、私は必要なときはいつでも声をあげます。ここに集っているみなさんはとても勇敢な、勇気ある女性たちです。女性は道義的、感情的、精神的な力の本当の源です。戦争のつけを払う無実の人々は、私たちの子どもたちです。自分の子宮で彼らを育てた私たちは、母親として彼らを害悪から守る責任があります。後の世代のために、兵士たちに、無関心や誇りではなく思いやりと謙虚の道を、報復ではなく許しの道を、敵意ではなく友情の道を、差別ではなく尊重の道を、戦争ではなく平和の道を示さねばなりません。

アメリカの有名な詩人、ロバート・フロストの詩の一節を引用して私の発言を締めくくりたいと思います。

「道が森の中で二つに分かれていた。そして私は…
そして私はあまり人が通っていない道を選んだ。
そのためにどんなに大きな違いができたことか。」

文明もまた、暴力と報復と戦争の道か、平和と友情の道か、選択を迫られているのです.

みなさんに神のご加護がありますように。人類に神の慈悲がありますように。

*インタビュー* 女性平和基金で2度来日して

スージー・スナイダ
婦人国際平和自由連盟(WILPF)事務局長
インタビュアー : 新日本婦人の会国際部長平野恵美子さん)


私は3度目の来日ですが、昨年の原水爆禁止世界大会に続いて、今回の新日本婦人の会主催の国際女性シンポジウムと、女性平和基金で2回招待され、とても光栄に思っています。

私の人生を変えた原水禁世界

大会昨年の原水爆禁止世界大会(以後世界大会)への参加は、私の人生を変えてしまうほど大きなできごとでした。核兵器の廃絶運動にかかわってきたものとして、広島・長崎を訪れることは長年の願いでしたし、何より日本はじめ各国の平和活動家との結びつきを強める機会になりました。直接交流したことで、これまで以上に多く、そして定期的に情報の共有ができるようになっています。それぞれの国の活動のいいところを、たくさん学ぶことができました。私白身が、核兵器廃絶に対し、いっそう真剣にとりくむようになりました。

国連での活動

私の職場、WILPFの事務局はスイスのジュネーブにありますが、ジュネーブには国遵の欧州本部もあります。軍縮会議や人権委員会が開かれるほか、国際労働機関(ILO)や世界保健機関(WHO)など国連の専門機関の本部もおかれています。私の日常の仕事のひとつが、毎週国連ビルを訪れて各国の政府代表と会い、軍縮や入権の問題で意見交換をすることです。軍縮の分野では、核兵器の廃絶に向かうひとつのステップとして、兵器用核分裂物質生産禁止(カットオフ)条約の交渉開始をもとめてはたらきかけを強めています。この条約はアメリカなど5つの核保右国以外の核兵器保有を禁止するという”不平等な”核不拡散防止条約(NPT)を補完オる役割を果たすことができます。すべての国を平等に扱う条約として、NPTに加盟していない事実上の核兵器国とよばれるインドやパキスタン、イスラエル、またその動向が洋目される北朝鮮やイランの参加も期待することができます。人権の分野では、現在進められている国連改革のなかで、その機能と権限を強化することを目的に人権委員会が人権理事会に改組されました。白分の影響力を最大限確保したいアメリカの画策もあり、その設立の目的どおりの組織になるかどうか前途は多難です。また、各国の人権侵害の問題について直接調査しその是正に大きな役割を果たしてきた、特別報告官制度(女性に対する暴力に関して、日本軍の慰安婦問題でも勧告が出されている)などが存続するのかどうか、女性の人権問題が独立した分野としてあつかわれるのかどうかなど、課題が多く残されています。NGOとして、新たに選出された日本を含む柳の人権理事国に対し、積極的にはたらきかけていかなければなりません。
ひとつ希望がもてるのは、2004年の世界大会に参加して軍縮問題を扱う国連の第1委員会の議長もつとめたメキシコのルイス・Tアルフォンソ・デ・アルパ国連ジュネーブ事務局常駐代表が人権理事会の初代議長に選出される見込みだと言うことです。デ・アルバさんはかねてからNGOとの連携を重視する政府代表として知られており、人権理事会の運営やNGOの参加について決めることになる最初の会合の議長として、もっとも頼りになる人です。また、広島・長崎での世界大会に参加して人生が変わったとおっしゃっていました。

女性平和基金の力

女性平和基金はすごい力をもっていると思います。私は、昨年ジュネーブに戻ってから、世界大会での活動とあわせて、新婦入との交流や女性平和基金について報告しました。新婦人が地域に根ざした友愛の活動と、政治的・社会的な活動を同時に行っていることが、すごいと思いました。友愛のネットワークをつくりながら、そのなかで政治や社会の問題について語り運動につなげていっている。ぜひ参考にしたいと思っています。また、女性平和基金を支えているレイラの1本1円運動もすばらしいアイディアです。企業として単に寄付するのではなく、平和運動の発展に貢献しているこの方式には、WILPFの支部も大変関心をもっています。インドの支部が実際に白分たちのところで可能かどうか、検討を始めたと聞いています。海外に販路を広げることを考えてもいいのでは?支社をおかなくても、インターネット通販という方法がありますし。私は、昨年広島でいただいたレイラの日焼け止めクリームでとても助かりました。日焼けすると真っ赤になるのですが、敏感肌なのでなかなかあうクリームがなかったのです。レイラの製品は安心して使えますね。ホワイトニング製品も気に入っています。それから、今回いただいた口紅(35周年で特別に販売したもの)も!これこそ、私が探していた色で、とてもうれしいです。女性平和基金のおかげで、私は何ものにもかえがたい経験をすることができました。多くの女性平和活動家に、私と同じ経験をしてほしいと思います。特に若い世代に。私は認歳ではじめて世界大会に参加し、人生が変わるほどの感動を得ましたが、早い時期にこうした経験をすることによって、残りの人生がどれほど豊かになることでしょう。女性たちの平和への思いに支えられた女性平和基金に、期待します。