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Abacca Anjain-Maddison

アバッカ・アンジャイン・マディソンさん

アバッカ・アンジャイン・マディソンさん

former senator
2011 Japan Peace Conference in Okinawa


放射能に汚染された島には帰らない

私はマーシャルの国会議員選挙に、ロンゲラップ環礁選挙区から立候補し、11月22日の投票日の後すぐ、沖縄に来ました。結果はまだわかりません。勝ち負けより、自分の公約が多くのマーシャル国民、特にロンゲラップの人々に届いたと信じるだけです。私は選挙で、ロンゲラップの人々に、放射能の汚染除去が終わっていないのに、アメリカとロンゲラップ間の協定に基づいて帰島しないことを訴えてきました。

ロンゲラップ島と島民は、1954年3月1日のブラボー実験の死の灰を浴びました。ブラボー実験は、アメリカが12年間、マーシャル諸島でおこなった67回の核実験の中で、最も破壊力のある水爆でした。汚染された故郷の島を出て3年後の1957年、アメリカ原子力委員会(現在のエネルギー省)は、ロンゲラップは安全だと宣言しました。彼らはアメリカの議会には、島民が島に帰れば家族ごとに家を建ててやると信じ込ませて帰島させたのです。アメリカ農務省が食糧支援を行い、委員会は被ばくした島民の治療とすべての島民に対する定期的医療調査及び土壌の放射能汚染のモニタリングまで行いました。

島民は、島でとれる食料、特に、やしがには食べるなと何度も忠告を受けました。やしがには、高濃度のセシウム137が蓄積されています。外からの食料を買うお金もなく、土地に根差した生活をしている島民は、食べ続けました。かかったこともない病気が頻発し死亡者も出て、1985年、私たちはクワジェレン環礁のメジャット島に避難しました。愛する故郷のひどい汚染を目の当たりにし、誰もアメリカの医者も政府も信用しなくなりました。

今日、同じことが繰り返されようとしています。ロンゲラップ環礁自治体は、2011年10月1日、島民を帰島させるとアメリカ政府に約束。島民の再定住のための基金を中止または減額するとのアメリカの脅しに屈したのです。自治体は、50戸の近代的で心地よい住宅、食料とお金、仕事、エネルギー省による被ばく住民への医療の提供、ホールボディカウンターなどを通じてのモニター活動を約束しました。4000人を超えるロンゲラップ島民の生活を支えるのに必要な資金がどれだけ残っているのか、わかりません。

1994年、独立した科学者がロンゲラップ島の年間の許容放射線量を発表しましたが、2006年、ロンゲラップは、許容放射線量を満たさないまま安全が宣言されました。エネルギー省の安全宣言を支持した同じ科学者が、アメリカ議会への返答で、ロンゲラップは安全ではない、特に子どもにとって汚染除去は完全ではないと述べています。

選挙中、帰島しないようにとの私の訴えには、訪問し話した人すべてが同意しました。もっと多くの人を説得しなければなりません。自治体やアメリカの決定に異議をとなえるのはたやすいことではありません。私たちの地域社会の中にも、アメリカと協力する、経済的にも政治的にも影響力を持つ人々がいます。

島民が再び高い放射能に汚染されたところに帰ることがないよう、応援してください。最終的な答えは、私たち島民が出さねばなりません。「子どもたちと孫たちのために」。勇敢で謙虚なリーダーだった私の父、ジェントン・アンジャインが残したことばのように。

2011年日本平和大会in沖縄

2011年日本平和大会in沖縄