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リタ・ラサルさん(日本母親大会)

2002年  
リタ・ラサルさん

リタ・ラサルさん

平和な明日をめざす9月11日家族の会(アメリカ)
第48回日本母親大会国際シンポ
「テロも核兵器も戦争もない21世紀のために-日本と世界の女性の共同と連帯」


2機目の飛行機が突入した瞬間を、私は隣人の住むアパートの15階から目撃しました。1機目の突入時には気がつかなかったのですが、そのとき、弟があの建物の中にいることに気がつきました。私の世界は、ニューヨーク、アメリカと同様、一変しました。800万人が住み800万の物語があったこの都市が、ひとつの物語になりました。後になって、弟が四肢麻痺で車椅子の友人を置き去りにできないから、救助を待つといっていたのですが、救助は間に合わなかったことを聞かされました。弟は、死にました。

それからは気が狂ったような数日間でしたが、私は覚えてさえいません。ブッシュ大統領は国立大聖堂での演説で弟の行為に触れましたが、アメリカが弟の名を借りて、罪のない人々を殺す理由を正当化しようとしているのだということがすぐわかりました。それは弟の死よりもなお恐ろしいことでした。どうしていいかわからないまま私はニューヨークタイムス紙に投書し、それが掲載されました。その中で私は、テロ行為で深く傷ついたこの国が、自分たちでは抑えきれぬ力を暴走させることのないよう訴えたのです。

しかし戦争を煽る太鼓が鳴りだしたので、私は平和集会での講演を始めましたが、何の効果もありませんでした。いままさに起きようとしていることがわかっていても、それを止めるにはあまりにも無力でした。そんなとき、サンフランシスコ「グローバル・エクスチェンジ」のメディア・ベンヤミンから連絡がありました。それまで会ったこともないし、話に聞いたこともなかった彼女が電話で「アフガニスタンに行きませんか?」と言ってきたのです。すぐに、どこかでなにかがかみあわさり、正しいことが起ころうとしていることがすぐにわかりましたので、私は、「行きましょう」と答えました。9月11日にペンシルバニア、ペンタゴンで、あるいは世界貿易センタービルで家族を亡くした、お互いに見ず知らずの4人がアフガニスタンを訪れることとなりました。そこで私が目にしたのは、すべてのアメリカ人が見ておくべき戦争でした。抽象ではなく、その実相についてそのいくつかを、これからお話しようと思います。

孤児院には子どもたちがあふれ、食べ物はほとんどなく、暖房もなく、停電はしょっちゅうです。開校間近の学校を見学しましたが、窓はなく、やはりここでも暖房はなく、電気もありません。でも、少なくとも子どもたちに勉強する場所ができたのです。たくさんの家族と会いましたが、誰もが多くの親戚や、子どもを5人、6人と失ったのでした。私は、ある1つのフレーズを、それをこれまで声に出してきたことも信じられず、ただ心のうちで繰り返すばかりでした-私はひとりの弟をなくした、ということを。血のつながった弟を。しかし、ここでは8人、9人、10人もの家族を失っているのです。学校にいた子どもたちは、円をわらを使って描いて床に座っていました。その円の中心には、わらと、クラスター爆弾と地雷の模型がありました。爆弾で吹き飛ばされないよう、また手足を失わないよう、先生からその見分け方を教わっていたのです。それでも毎日少なくとも10人の子どもが、遊んでいる最中に誤ってそのような場所に入り込み、悲劇にあうのです。ビザを出してくれた場所が政府の役所だとするならば、私の見たそこでは、大臣は20年も着古した制服を着て、3本足の机を使っていました。ポケットから鍵を出すと机の引き出しを開け、そこから鉛筆を取り出したのです。鉛筆を、鍵をかけてしまうほどにまで、彼らは貧しいのです。

女性のつどい2002

女性のつどい2002

私は自分の国(アメリカ)で、たくさんの愛情を注がれ、慈しまれ、お金に不自由することもなく、すぐに誰かが助けてくれ、何かあれば役所や周りの人々に相談できるという環境で育ちました。私が行った国(アフガニスタン)では、5人の子どもを失い、夫を失った女性が、子供を路上での物乞いに出すまで追い詰められていました。アメリカ大使館に助けを求めれば、「物乞い女は帰れ」と追い返されるのです。

アメリカ人の私を見て、タリバンから国を解放してくれたと感謝する人もいました。彼らとともに、家族の一員として悲しみを共有し、抱擁しあうためにきたという私たちに驚く人もいました。愛のため、慰めあうために来た私たちは、かれらの寛大さに謙虚さを教えられました。

私たちアメリカ人は、空爆以外の手段で紛争を解決するよりよい方法を見出さねばなりません。その理由はふたつあります。まず、私たちは爆撃によって、弟のような無辜の市民を殺しているからです。もう1つは、私たちが政策を変えなければ、また別の飛行機が、アメリカの別の都市で、別の建物に突撃するからです。私たちは、アメリカ以外の世界に愛されていないことに気づかされました。自分勝手な国だったということに…。ある地域に入り込み、自分の仕事を済ませて、すぐに立ち去る-このような手法でアメリカを守ることはできません。ガソリンの値段が、アメリカ以外の世界への敬意と配慮のあらわれになることを意識するべきなのです。そうしない限り、アメリカは常に恐怖と怒りの対象であり、攻撃される存在でしかないのです。